ぱらぱらめくる『代数的トポロジー』
- 作者: 枡田幹也
- 出版社/メーカー: 朝倉書店
- 発売日: 2002/03/01
- メディア: 単行本
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- まえがき
- 三角形の合同を、三辺の長さの一致で判定するということが、「合同の関係で不変な代数的量(不変量)を抽出して(合同の)判定」をすることだという
- このような考え方で行くとトポロジーにおける不変量としての頂点数、辺の数、面の数とそれらが作る式の値によって穴の数での同一視をとらえることが、「合同判定における辺の長さ」と同じ意味合いであることがわかる
- この本はそんな話らしい
- 目次
- 1. オイラー数
- 2. 回転数
- グラフのホモトピーを考えたとき、それはグラフの連続変形の可否だった
- 今、図形と図形との連続写像を変形することを考えて、写像が連続変形できるか否かについてのホモトピーを考えることにする
- 写像なので、X→Yを考えることになる
- 簡単な例として、単位円S1 -> S1の写像を考えることにすると、それは、回転角度がどれくらいになるか、何回、回転すると一致するか、という話になる
- このことから、連続写像の基本的な考え方として「回転数」という概念が登場する
- S1 -> S1の写像を次のようにRで作る
- まず、のの連続写像を作り、とする
- 以下のR処理で図示されるように、S1の1周の間に何度も写像先でぐるぐる回る。その周り方に遅速の変化はあるが何周するか、ということについて「不変量」とみようという話
- なぜかというと、回転数は「自然数~離散値」であるところ、写像のホモトピーでは連続的変化を要求しており、連続変化しているときに回転数は変わらずに推移するはずで、もし回転数が異なれば、どこかしらで写像同士に不連続が存在しなくてはならないから
- 3. 単体的ホモロジー群
- 「平面的グラフのホモトピー同値による分類は、オイラー数によって完全になされる」のに対して
- より高次なグラフの場合は、もっと情報量が必要となる。ホモロジー群がそのような「より多い情報量のうちの1つ」で、かつ重要なもの
- ホモロジー群の理解には加法群の理解が必要らしい
- ベクトル空間のように和とスカラー倍とが備わっている
- この加法群の間の写像を考え、そこに準同型写像という概念を入れ、それを使って単体的複体のホモロジー群を論じるという流れ
- G->G'という写像fの準同型写像を考えるとき、fによって、G'の0元に移るGの要素をGのfにおけるkernelと呼び、fによってGの要素が移るG'の要素の全体をGのfによるimage と呼ぶ
- いくつかの写像がシークエンスを作っているとき、ある写像のimageが、次の写像のkernelになっていると、G -> G' -> G''のように2つの写像を経ることで、Gの全要素がG''の0元になってしまう(その先はずっと0)。このような系列は、ある意味で「すっきりしていてきれい」であり、有用な特徴を持つ。これを完全系列を言う
- この完全系列が単体的複体の議論につながってくる
- このあたりからはこちらで理解を進めてから読む方がよさそうだ…
- こちらも(は)、写像・射・圏論とトポロジーとの関係の理解を進めてくれそうだ
- 単体は「三角形の次元一般化したもの」
- 単体を頂点IDを並べたものとすると、それらは、偶置換で入れ替わるか奇置換で入れ替わるかによって2分できる。この2つを「向き」という
- 「向きのある単体」がいくつもあって、あちこち「張り合わせたようになっている」ものが単体的複体
- 個々の単体を頂点IDの並びで表すと、一見して、張り合わせたところが複数回登場するように見えるが、向きのことなる単体が1つずつあるとき、それらは打ち消しあうことにすれば、消えてくれる
- このようにして、単体的複体が頂点IDの並びを寄せ集めたものとして記述できる。この「寄せ集め」を「加法」とみることで加法群として見えてくる
- 単体は1次元低い単体を「張り合わせ」た境界と、その「実質」でできている、と考えることができる。向きのある単体の「張り合わせ境界」は1次元低い向きのある単体の寄せ集めである
- 単体的複体の境界もやはり1次元低い向きのある単体の寄せ集めである
- この「向きのある単体的複体」を「張り合わせ境界という向きのある単体の寄せ集め」に対応付ける写像を境界写像という
- (向きのある)単体の定義・性質から、境界写像を2回取るとゼロになり、それは単体的複体の場合も同じ
- 向きのある単体的複体は、その境界を取るとゼロになるが、このように「境界を取るとゼロになるような単体の寄せ集め」をサイクルと言う
- 向きのある単体的複体を「図形」と考えれば、「図形の境界は(1次元低次の)図形だが、それには境界がない」と言うことになる
- ただし、「境界がない図形」は「(1次元高次の)図形の境界」かというと必ずしもそうではない
- ドーナツ(トーラス)を考える。ドーナツにかみついて小さな円板のような形を切り取るとする。これは円板状の図形の境界(円周)をドーナツ表面から取り出す操作。この円周には境界がない
- 他方、ドーナツを競馬場のように見て、ぐるぐる走ることにする。1周してもとの位置に戻ると、ドーナツ表面は2つに分けられてしまうが、1周したときに少し違うところに戻ってきて、もう1周することにして、帰ってきたときに、「今まで通った道を踏まず」に、一番初めのスタート位置に戻ることにする。こうすると、これはぐるっと回っているから、「閉じている~境界がない」しかしながら、この2周回路はドーナツ表面全体上にのっているだけで、特に2次元多様体の境界になっているわけではない。これが「図形の境界になっていない、(1次元低次の)境界のない図形」の例である
- 単体的複体と境界写像によって、「境界がない図形」のうち、高次図形の境界となっているものとそうでないものとを区別してその個数を数えたりできる仕組みとしてkernel, imageとそれらの商群としてのホモロジー群がある
- 4. 特異ホモロジー群
- 5. 写像度
- 6. 胞体複体
- 7. コホモロジー環