どれだけの情報を処理しているのだろう
- こちらとこちらとこちらとこちらから
- 視覚的にどれくらいの情報を得ているのか
- 視細胞の光刺激を生物として利用するまでのすべての経路とその方法
- 聴覚的にどれくらいの情報を得ているのか
- 有毛細胞の音刺激を生物として利用するまでのすべての経路とその方法
- 僕らはその経路と方法について、どれくらいの部分を意識化することに成功しているのだろう
- 数学として抽象化することも、どれくらいの部分が意識化しているのか
- わからないことは多いけれど、すくなくとも、どれくらいのことを、「とりたてて」意識化しているかについては、視刺激・聴刺激に関連するすべての単語(名詞・形容詞・動詞・言い回し 等)を数え上げることで、出発点とはできるだろう。抽象概念化についても同じ手法は有効だろう
- 数え上げたら、後は組み合わせることは可能
- 数え上げられていないことはそもそも組み合わせることは難しい
- 大事なことは、抽象概念は万人での共有にかなりの困難があるのにもかかわらず、視覚体験と聴覚体験とは共有がなされているらしいこと。また、そのためには、幼児教育というフィードバックが重要らしいこと。
- キンカチョウの文法研究もこれにつながるわけだけれど