ヒッグス粒子と確率事象
- ノーベル物理学賞はヒッグス粒子
- これについてどれくらいわからないかと言うと、「びッグス粒子」かと思っていたくらいわからない
- ヒッグス粒子を理解することは難しいという(こちらなど)
- 難しいけれど、『わかり』たいと思うことは多い
- 今、すぐに引用できないのだが、『わかった!』という感覚は、何か2つの方法で1つのことに納得が言ったときだとのこと。『わかり』の一側面を大きくうまく表現していると思う(メモしておけばよかった)
- 比喩を使うというのは、「わかりにくい」ことを「よくわからないけれど誰かがうまく説明できるらしい(数式などで)」と『鵜呑み(数式ってああいうもので、がっちり説明してくれるものだ。ただし自分で書き起こせないけど…と了解すること。他者への全幅の信頼)』にしたうえで、自分が復唱できる自然言語的説明の世界にも説明を求めることで「2つの方法で説明できる」とみなして安心する、という行為なのだろう
- さて。
- 自分が理解したいとき、自分には自分の理解の仕方がある(術語を並べる、術語のミニマムの説明を読む、術語の構成を知る)
- ヒッグス粒子の場合は?(参考こちら)
- 場
- 場には、粒子と波とがあってそれは同じもの、見方の違い
- 「真空」には自分が思い描くことと違う意味が付与されているらしい
- 何もなくても(真空でも)、何かが起きる。起きるときに「要因」が必要だというのなら、「真空」に何かがあることにしよう
- 場はいくつもあって、それぞれに素粒子がある(1対1対応なのかどうか未確認)
- 電磁場は場の1つ、そこの素粒子は光という波とそれの粒子である光子だという
- 対称性のやぶれ
- 「何もない」ときに引き起こされるとき、2者択一の確率事象があるということをそう言うらしい
- ヒッグス場というのは、この何もないのに何かが起きるその要因を説明する場で、ヒッグス粒子はその場にとっての素粒子らしい
- 場がいくつもある。複数の場は相互にルールでつながっている。何もないところには二者択一の確率事象がある。その確率事象を「引き起こす場」がヒッグス場。場には素粒子がある。それがヒッグス粒子。粒子を「観測」すると物理学的には「存在確認」したことになる。確かにあった…→ノーベル賞