定義する:「●●とは」

  • こちらのような「頭の休憩」をしながら、「わかった」こと
  • 「哲学」は、「みんな」が共有できているものやこと、の定義を考える学問
    • だいそれたこと(「生きるとは」、とか「ヒトとは」とか)も、対象なら、「穴とは」とか、も対象
  • 「数学」は「定義」を作って、それが作り上げる体系を整理すること
  • 「医学・生物学」では
    • 「疾患X」をわかったつもりで共有(診断)している。けれども、その正確な定義はわからない
      • したがって、「疾患X」の定義を突き詰めようとする作業は「哲学」
    • 「遺伝子とは」というのも定義が難しいもののひとつ。
      • したがって、その探求は「哲学」
    • 数理生物学は、「定義」のはっきりしたものを「生物学」に適用する。「数学」を適用するから「数理生物学」なのではなくて、「定義を与えたところ」から始まっているから「数学」
  • 「生物学」と「物理学」とが、「哲学」的アプローチと「数学」的アプローチとの間で、どういう相対的な位置にあるか、ということを考えてみる
    • 「生物学」は、「とりあえず、みんな生活している」ので、「(本当のところはわかっていないけれども)みんながぼんやりと共有できる現象」がたくさんあって、それを対象としている。「ぼんやり」が対象で、その定義を探しているので、「哲学色」が強くなる
    • 「物理学」は、生活していると気が付かないことに、「こうじゃない?」と定義を持ち込んで、それを確かめるアプローチ(が多い)ので、「数学色」が強くなる
  • こう考えると
    • 「数学」が好きで「哲学」が好きだ、ということは、「定義」が好きだ、ということらしい
    • 「外科」より「内科」が面白いのは、「定義自体を対象にしている」のが後者だから
    • 膠原病」に興味が強いのは、疾患定義が曖昧で、チャレンジングだから
    • 「データ解析」が好きなのは、対象の定義をはっきりさせることが、作業の本質だから。また、「複数の対象の関係」を定義づけることだから
    • そして、オミックススタディで使わざるを得ない「オントロジー」という考え方が好きなのは、オントロジーは、みんなが「わかったつもりで使っている言葉」を、その原義に照らして(定義を完璧にすることが難しいことがあるので、あえて『原義』と呼ぶことにしよう)関係を見つけようとする作業であるから。また、「よくできた定義」では「相互のオーバーラップ」はできるだけないのがよいけれど、「オントロジー」では、そこがごたまぜで、闘い甲斐が大きいから