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  • エッセイを輪読することを5回実施した
  • いつも、冒頭で『今日は何の話?』と訊ねている
  • 返ってくる返事と期待した答は、かなり違う
  • それはなぜか、と考える
  • 繰り返しているのに、期待した答に変化してこないのはなぜか、とも考える
  • 『何の話?』と訊ねるとき、僕は『対象は何』で、『どういう考え方か』を訊いている
  • 答える側は、『筆者が導いた結論』を話そうとする
  • そこが、乖離の大きなポイント
  • たとえば。
  • この話。
    • 『対象は何』か、と言えば
      • 「(Aということが)起きること」に関する話であって
      • 「戦争(諍い)」に関する話では、ない。「戦争」に関する話ではない、と言い切るのは語弊があるかもしれないが、少なくとも「戦争が起きること」に関する話である。そして、「戦争」と「起きること」という2つの体言のうち、重要な方はどちらかと言ったら、「起きること」の方
  • この話ではどうだろうか
    • 「戦争」に対応するのは「遺伝子コドン」だろう
    • 「起きること」に対応するのは、「対応付けルール」だろうか
  • 乖離のもう一つの大きなポイントはなんだろうか?
    • 「中身の分からない」単語を使わずに話してほしいのに
    • 「とりあえず使えそうな用語」を使った答が返ってくる
  • たとえば、『「戦争」の「統計」の話』という答
    • 「戦争」の方はもう片付けた
    • 「統計」の方が問題
  • 「統計」の話、と言ったとき、その言葉で「何を」言いたいのかがはっきりしていれば、かろうじてよいけれど、「統計って、どういう意味?」とさらに訊かれて、うまく説明できないのだとすれば(うまく説明できないのだけれど)、それば「今日は、ウォーに関するスタティスティクスが話題だぜ、ベイビー」と言っているようなもので、とても「浅い」
  • "Today's topic is statistics on wars" と自信を持って言えるだろうか、と考えると、少しわかりやすいかもしれない。自分には自信がない言語で、その言語を母語とする相手に説明するときには、"statistics"という言葉について質問が出てしまったらどうしよう、という不安があるので、安易にそのような表現はしないだろう
  • でも、日本語(母語)だと、平気でそういう言葉の使い方をする。突っ込まれたら、そのとき、のらりくらりとかわせるから、と思っていないだろうか
  • 「抽象的」に語ることは「術語(多くは漢字の熟語)」で語ることではない
  • 「術語」で語ると「抽象的」に語れることは多いけれど、その逆は真ではないということ
  • この輪読会も半ばに到達。「読んで」「ぎゅっと絞って」「枝葉を落として」「自分の言葉で」説明することが目標であることを、再認識して、進めよう