起きたイベントについて考察する

  • こちらから
  • 戦争など、ヒトの故意や意図が絡んだ事件が起きるのは、偶然なのか、とか、原因があるのか、それをどうやって検証するのか、という話題
  • イベントを定義する、イベントとの関係を検証するその対象を定義することが必要
  • どうやって検証するにしろ、「仮説」が大事
  • さて。
  • 戦争当事2国が隣接しているか否かを比べると、隣接していることと戦争を起こすことは「関係がある」ということらしかった
    • 空間におけるポアッソン配置のことを気にした(参考こちら)
  • 隣国かどうか以外の要因(宗教の違い、経済力の違い、体制の違い、言語の違い)は、関係があるという結果にならなかったそうだ
  • このことについて考え直す
  • 「当事2国」に戦争があるとき、そこには、「いかにも、な」対立事項が存在しているように見えるので、上記のように、さまざまな要因が「関連要素」として検出されなかったことは、不可解なようにも思える
    • 一つには。当事2国の間で、あるペアの間での「違い要因」は別のペアでの「違い要因」とは異なるので、「違い要因」と戦争勃発をナイーブに関連検定すると、「関連あり」とは結論づかないだろう
    • どちらかと言うと、「考えられる対立点のすべてを考慮し、そのすべてが存在しない2国間」と「一つでもよいから対立点のある2国間」という比較をするのが、適当(これは、「対立点」として可能性のある候補要因をORで結ぶもの)なところを、対立点について個別に調べているという問題があるだろう
    • また、どんな戦争2国も、必ずなにがしかの「違い」があるので、「戦争が起こった後の後付け」で考えれば、必ず「戦争をもたらした違い」が際立って目立つ、というバイアスが入りやすい。これが、「戦争当事2国」の戦争の背景には「対立点」があるという仮説を立てやすくする力となっているだろう
    • しかし、またこうも考えられる。国と国の間に国境があるということは、『ぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーーったいに』対立点があるのであるから、「2国間」に「対立点」が見つからないわけがない。もしも「なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんにも」違いがない2国が合い接していたら、それはとっくの昔に融合して、国境が消滅していただろう。
    • そういう意味では、「対立のない隣接2国」と「対立のある隣接2国」を比べたいのに、「対立のない隣接2国」はないのであるから、「ネガコン」がない、という状況であって、そもそものやり方が不適当なようにも思える
  • もう少し、言えば、「戦争が起きる」というのは、「戦争起きるような微妙なバランスでの差異」があるような環境設定があって初めて起きることで、そのような環境設定そのものが「国」を存在させているのだから、「戦争」が起きることは(政治的に不適当だが)必然であるという背景を持つ。ここで言うべきことは、「異なる何かが接しているから、その間でバランスの変化は必ずある」ということで、それを、「うまく死亡者を出さないようにやり過ごす知恵」は必要である。
  • そのときに「うまくないやり過ごし」をイベントとしてカウントすることが、「フェノタイプの観察」として適当であるのか、という点は、疾患解析にも通じることである。
  • 遺伝的多様性はそこにある。「イベント」は「起きたり起きなかったりすることであって、疫学ではそれが病気。病気は、起きそうで起きない、起きなそうで起きる」というバランスのあたりについて、「ヒト」が定義づけているイベントであるから、『必ず、起きそうな状態』である。そこに遺伝を含む要因が関与していれば、『必ず、影響がある』それが、気になることであって、(遺伝)疫学の対象。
  • そんなところまで、話すほどの時間はないのだけれど、参加者が、感じることがあれば。